自然に出てきた言葉

一年後に死ぬとわかったらどう生きるか、ふとそんなことを思った。しなければならない事、片づけておかねばならない事、なんだろう。やっておきたいことなんだろう。まあ、なくもないが・・・・、考えが進まない。

自分の命が後一日になったとしたら、なんとするであろう、執着はしないけれどいささかの未練はある、残された者を心配などしたくもないがそうもいかない事もある。死ぬことは怖くはないが寂しさは感じる。なかなか無心の境地には達せない。けれども物事はなるようにしかならないのだし、じたばたしてもしょうがない、やはり天に任せるしかないのだろう。

以前とある方のブログに「おそらく都会には大災害が起こるであろうから、脱出すべきでは」という書き込みがあって、それにたいしてコメントしたことがある。そのさいごのほうにこのように述べた。「この世を生き抜くことだけが目的ではないはずです。自分のいる場所で最善を尽くし身魂を磨くことが神示の御教えだと思います。命離れて、我慾離れてなるようにしていればそれでよいのだと思います。」自分の中から自然に出てきた言葉だった、自分も少しは進歩しているのだろう。

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この記事へのコメント

ぶんな
2018年03月22日 17:11
こんにちは!
 こちら、ハクモクレンどころか、いま窓から吹雪が見えています。
 「あと一年」、考えさせられました。実は友人に癌だというかたが3人いらっしゃり、お三人から、そのたびに考えさせられました。いまより若い時は何冊か本を出したかった。けれども今は、だせないなら出せないで仕方がないかと。
 ちょっと諦めが入ってきています。これは体力的、持久力も関係しています。時間的なこともそうです。
 そうなったら、まず、自分にすこしでも良かれと為してくださった方々に何とか「有難う」を言いたいです。そしてのこされる者たちに、葬式はできるだけ簡素に、幸せに暮らして頂戴というと思います。これまで「有難う」と言いたいです。
 残された1年の人生をどう歩めるだろうかは、ちょっといまのところ具体的に語れないのが正直なところです。後1、2年も経過すれば、むしろ、語れるかもしれません。
 わたしが信じている宗教にスパッと順応していけたら、それは最も幸いであるでしょう。賢治が死の間際に読経を行ったように。この賢治の最期のすがたが、宗教は違うけれども、なにか神々しいというか、諄々と運命に従って向こうの世界に入ってゆくかのような、凄さといえばそうなのですが、運命への恭順さとでもいえるのか。
 わたしなどは、いつ、「あと1年」といわれてもおかしくない齢でもあります。教会では、悔い改めた状態でいることが、何よりも安心であるとされていますし、その通りなのでしょうね。
 まとまりがありませんが、これをきっかけに、あれこれ考えてみました。
 みなさまのご多幸を心から祈りつつ。
harukaeto
2018年03月22日 20:44
ぶんなさん、今晩は。コメントありがとうございます。

この文章を更新してから腹部の不調が続きまして、あれ変だなと思うような、今までなかったような不調でしたので、さすがに不安になりかけました。私が死ぬことは仕方のないことなのですが、娘の生活を思うとまだまだ傍に居てやりたいと思うのです。

死ぬことに関してはほとんど不安はないです。この世を去って元にいた世界に戻るだけのことですので、魂は永遠である、そのように思っているからです。キリスト教ではどのように考えているのでしょうか。

自分も悟ったようなことを言っていますが余りにも至らない人間ですので、どうなることやらです。ぶんなさんや周りにいる方々が幸せと思えるようお祈りいたします。
ぶんな
2018年03月22日 21:53
 コメントを投稿してから、書き落としたと思いまして、また書かせていただいております。
いつものように淡々と、目の前にあることを、精いっぱいこなしていく、1年しか命がなくとも、3年後に実がなるという樹木を植える、そんな在り方をしたいです。
 キリスト教では、罪のあるものは滅びる、しかしイエス・キリストの流した血は、自分が犯した罪で受けるべき罰を、身代わりに罰を受けてくださったと信じる者は、罪を赦されて天国に行くことができると教えています。やはり魂が救済されます。そしてやはり永遠に魂が生き続けます。
 いつも不完全でスカスカの自分ですが、しかし、その不足分を神は、神を見上げている限りは、許して足してくださると思っています。
 私が何とかこの道から落ちずに済んだのは、わたしが真面目で賢かったのではなく、神の知恵が、私の数倍も勝っていて、いつも先に手を打ってきたからでした。
 お嬢様が、そしてharukaetoさんのご健康が守られますように!!
harukaeto
2018年03月23日 20:27
再コメントありがとうございます。
やはり魂は永遠なら何も怖くないですよね。いつものように淡々としかし精一杯こなしてゆければと思います。

私が、私達が、そしてすべての存在が平安でいられますように。

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