苦しみを渡る舟

彼岸に見えるかすかな灯りひとつを頼りに

船はゆっくりすべってゆく

私は苦しみの川を渡る舟に乗っている

川面に目をやると川の底に引き込まれそうになる

灯りに向かって真っ直ぐに進んでいるつもりだが

同じところをグルグル グルグル回っているだけかも知れない

対岸の灯りは本物なのだろうか

疑念ばかりが湧きおこる



暗闇の中にいるからほのかな灯りでも見えるのか

出来ることならこの船から降りてしまいたいのだが

それは許されないこと

何故こんな船に乗っているのだろう

その理由さえも知らされず

灯りを目指してゆくしかない私達

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この記事へのコメント

中ぶんな
2019年02月05日 20:17
新年初のお作、拝見!
まがいものではない詩、訴えるものがあります。私の場合はそれは十字架ですが、マザーテレサは、神の不在を、これは自分のテリトリーに捕らえられないといった意味かどうか、しきりに司祭に訴えていたようですね。そう思われる事態は実は多くあるように思います。私などがいうまでもなく。しかし、それでも、光を遠くにでもぼんやりとでも望みながら歩むところが人のすばらしさ、人の価値であるかと思われました。腹が立つほど、といったところで、自分の度量の貧しさが知れようというものではありますが、実際、腹が立つほど享楽的に生き、尚且つ、のうのうと暮らす輩はいくらでもいますが、そんなケースに人間は感じられません。少数派でも、人間であってくれる方が、特にこの末の世にはいなければなりません。そういう方がいなくなったのなら、この世は終わりです。人間であろうとするごくごく少数の人で、この世がやっと保たれている、そんな気がいたします。
harukaeto
2019年02月05日 21:34
ぶんなさん、今晩は。いつもコメント有難うございます。
私が見たり聞いたりする様々な方が、生きている意味とは三次元のこの世でたくさんのことを学び経験することで、霊性を向上させることだと仰ります。闇があるからこそひかりの偉大さ,ありがたみがわかるのだと言います。悲しみ苦しみを経験しなければ、霊性の進化も望めないと言います。宇宙の存在そのものがそのように出来ていると。

私達は誰一人として苦しみの川を渡る舟から降りることは出来ないので、対岸に辿り着くしかないようですね。それがこの世の宿命でしょう、何のために宇宙はあるのか、その答えはだれも知りません。

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