2019年02月10日 鎮魂歌 たとえそれが自分で選んできた宿命だとしても余りにもの苦しい日々 無惨な死に方に言葉もない 胸が痛むきみはたくさんの人に殺された自分の父親に 頼りだった母親に無責任な学校 教育委員会に本来の職務を投げ出した児童相談所に覚えておきなさい 許されるはずもない今生 きみは早すぎる死という答えを持って苦しみの川を渡りきったすこしも助けられなくてごめんなさい今は心静かに光の園を目指してほしい大丈夫 独りではないから何時もそばに いてくれる人がいるから
ぶんな 2019年02月17日 19:24 近頃あまり他のブログを覗いてはいませんが、鎮魂歌、ここで出ましたね。痛ましい事件でした。見るたびに、こんな人生って、と涙が出ました。この事件、アウシュヴィッツの極限の状況にも似ていると思いました。人はどんなにも残虐になる“可能性”を持っているものなのかもしれません。何らかの抑止力が働かない状況では、どんなこともあり得るかもと。それにしても、病気のお嬢さまにいつも向き合い、ご夫妻で、でき得る限りを尽くしてこられたharukaetoさん方のあり様が、いよいよ尊く思われたことでした。この詩の最後の「大丈夫 独りではないから何時もそばに いてくれる人がいるから」に、何か救われるおもいが致しました。これは、宗教的な意味合いがあるのかもしれません。
harukaeto 2019年02月17日 21:30 ぶんなさん、今晩は。この事件は、学校からのコメントを聞いたこともないし、どのような動きがあったかということも報道されていないようで、どうも変だなあと感じています。報道通りであれば、実に変な大人たちによって起きた事件だと思います。悲しみと共に怒りが沸き起こってきます。以前に同じ題名の詩を書いたことがあって、それに書きたそうかと思ったのですが、以前のものは自殺者に対しての詩でしたので、今回新たに出来たのがこの詩です。大丈夫 独りではないから何時もそばに いてくれる人がいるからこれはわたしの死生観とでもいうものの捉え方です。魂、霊は永遠で、人はいつも孤独ではないと思います
この記事へのコメント
痛ましい事件でした。見るたびに、こんな人生って、と涙が出ました。
この事件、アウシュヴィッツの極限の状況にも似ていると思いました。人はどんなにも残虐になる“可能性”を持っているものなのかもしれません。何らかの抑止力が働かない状況では、どんなこともあり得るかもと。
それにしても、病気のお嬢さまにいつも向き合い、ご夫妻で、でき得る限りを尽くしてこられたharukaetoさん方のあり様が、いよいよ尊く思われたことでした。
この詩の最後の
「大丈夫 独りではないから
何時もそばに いてくれる人がいるから」
に、何か救われるおもいが致しました。これは、宗教的な意味合いがあるのかもしれません。
この事件は、学校からのコメントを聞いたこともないし、どのような動きがあったかということも報道されていないようで、どうも変だなあと感じています。
報道通りであれば、実に変な大人たちによって起きた事件だと思います。悲しみと共に怒りが沸き起こってきます。
以前に同じ題名の詩を書いたことがあって、それに書きたそうかと思ったのですが、以前のものは自殺者に対しての詩でしたので、今回新たに出来たのがこの詩です。
大丈夫 独りではないから
何時もそばに いてくれる人がいるから
これはわたしの死生観とでもいうものの捉え方です。
魂、霊は永遠で、人はいつも孤独ではないと思います